
執筆者:辻 勝
会長・公認会計士・税理士・相続事業承継コンサルタント
中小企業M&Aで売却前に整える決算書

中小企業M&Aで買い手が最初に確認するのは、会社の将来性だけではありません。直近の決算書、試算表、借入金、役員報酬、在庫、未収金、税務リスクなどから「この利益は本当に続くのか」「買収後に追加負担が出ないか」を見ています。売却を考え始めた段階では、まず買い手が安心して検討できる決算書に整えることが重要です。
特にオーナー会社では、節税目的の支出、役員借入金、親族への給与、不動産や保険、古い在庫、回収不能な売掛金などが決算書に混在していることがあります。これらは悪いことではありませんが、説明できないまま資料開示に進むと、希望価格の引下げ、条件変更、交渉停止につながることがあります。
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株価、税負担、仲介契約、引き継ぎ条件、買い手候補との交渉前論点を整理します。
買い手は決算書のどこを見ているのか
中小企業M&Aでは、買い手は「過去にいくら利益が出たか」だけでなく、買収後も同じように利益とキャッシュが残るかを確認します。決算書はその入口です。
主に見られる数字は次のとおりです。
| 見られる項目 | 買い手の関心 | 売却前に整理すること |
|---|---|---|
| 売上高 | 取引先の分散、継続性、季節変動 | 大口取引先、スポット売上、値上げ影響を説明できるようにする |
| 営業利益 | 本業で利益が出ているか | 役員報酬、私的費用、臨時費用を区分する |
| EBITDA | 借入返済前の収益力 | 減価償却費、役員報酬調整、特殊要因を整理する |
| 借入金 | 買収後の返済負担 | 金融機関別、返済条件、保証の有無を一覧化する |
| 売掛金・在庫 | 回収可能性、資産価値 | 滞留債権、不良在庫、評価損の要否を確認する |
| 税務リスク | 追徴や簿外債務の可能性 | 役員給与、外注費、消費税、源泉税を確認する |
買い手が重視するのは、決算書上の利益そのものよりも、正常収益力です。つまり、オーナー個人の事情や一時的な損益を除いたときに、会社が通常どれだけ稼げるのかを見ています。
売却前に整えるべき損益計算書の数字
損益計算書では、売上、粗利、営業利益、役員報酬、交際費、保険料、地代家賃、外注費などが確認されます。特に中小企業では、オーナー経営者の意思決定が数字に強く反映されるため、買い手は「買収後に再現できる利益」を知りたがります。
まず確認したいのは、売上の中身です。大口取引先に依存していないか、スポット案件が多くないか、代表者個人の人脈による売上ではないかを整理します。代表者が退任した後に売上が落ちる可能性がある場合は、引継ぎ期間、担当者、契約関係を説明できるようにしておく必要があります。
次に、費用の中に一時的なものやオーナー関連費用が含まれていないかを確認します。たとえば、売却前だけ発生した修繕費、役員退職金、親族への給与、節税目的の保険料、社用車、接待交際費などです。これらは、買い手に対して「買収後には発生しない費用」「継続して必要な費用」に分けて説明します。
実務上の注意点として、費用を単純に除外して利益を大きく見せるだけでは不十分です。なぜその費用が発生したのか、買収後に本当に不要になるのか、代替コストが発生しないのかまで説明できる必要があります。
役員報酬・退職金・親族給与は価格に影響する
オーナー会社のM&Aでは、役員報酬の水準が売却価格に大きく影響します。役員報酬が高すぎる場合、正常化後の利益は増える可能性があります。一方で、役員報酬が低すぎる場合は、買収後に後任経営者や管理人材の人件費が必要となり、実質的な利益は下がる可能性があります。
買い手は、現在の役員報酬をそのまま受け入れるのではなく、買収後に必要な経営体制を前提に利益を見直します。そのため、売却前には次の点を整理しておくと交渉が進みやすくなります。
| 項目 | 確認すること | 買い手への説明ポイント |
|---|---|---|
| 代表者報酬 | 同業・同規模と比べて高いか低いか | 退任後に不要となる部分、引継ぎ期間中に残る部分 |
| 役員退職金 | 支給予定の有無、金額、時期 | 売却前に支給するのか、譲渡条件に含めるのか |
| 親族給与 | 実勤務の有無、職務内容 | 買収後も必要な人件費かどうか |
| 個人利用に近い費用 | 車両、保険、会費、交際費など | 継続費用か、買収後に削減できる費用か |
役員退職金は、会社の利益、株価、手取り、税務に関係します。適正額であれば法人の損金に算入できる余地がありますが、金額や決議時期、支給時期の整理が必要です。退職金を使った株価・利益調整は、M&Aスキームや税務判断とセットで検討する必要があります。
実務上の注意点として、売却直前に大きな退職金や役員報酬変更を行うと、買い手から「意図的な利益調整」と見られることがあります。税務上の適正性だけでなく、M&A交渉上の説明可能性も確認しておきましょう。
貸借対照表で見られる資産と負債
貸借対照表では、会社に本当に価値のある資産が残っているか、買収後に負担となる債務がないかが確認されます。損益計算書が「稼ぐ力」を示すのに対し、貸借対照表は「引き継ぐ中身」を示します。
特に確認されやすいのは、売掛金、棚卸資産、貸付金、仮払金、役員貸付金、役員借入金、未払金、借入金、リース債務です。古い売掛金や滞留在庫が多い場合、買い手はその分を資産価値から差し引いて考えます。
また、役員貸付金がある場合は注意が必要です。会社から社長個人への貸付金は、買い手から見ると回収リスクのある資産です。売却前に返済するのか、役員報酬や退職金と相殺するのか、譲渡価格で調整するのかを検討します。
一方、役員借入金は会社が社長から借りているお金です。買収時に返済するのか、残すのか、債権放棄するのかによって税務・資金繰り・譲渡価格に影響します。役員貸付金・役員借入金の整理は、売却前の重要論点です。
税務リスクと簿外債務を先に確認する
M&Aのデューデリジェンスでは、税務リスクや簿外債務も確認されます。買い手にとって怖いのは、買収後に過去の税務処理や未計上債務が発覚することです。
確認したい主な項目は次のとおりです。
| 項目 | よくある確認事項 | 売却前の対応 |
|---|---|---|
| 消費税 | 課税区分、簡易課税、インボイス対応 | 誤処理や未納がないか確認する |
| 源泉所得税 | 給与、報酬、外注費の源泉 | 未徴収・未納がないか確認する |
| 役員給与 | 定期同額、事前確定届出、過大性 | 変更履歴と議事録を確認する |
| 外注費 | 実態が給与ではないか | 契約書、請求書、業務実態を整理する |
| 未払残業代 | 労務上の未払リスク | 労働時間管理、賃金規程を確認する |
| 契約債務 | リース、保証、解約違約金 | 契約一覧を作成する |
実務上の注意点として、税務リスクは「発覚しなければよい」ではなく、買い手にどこまで開示し、価格や表明保証でどう扱うかが重要です。隠したリスクが後から見つかると、価格交渉だけでなく信頼関係にも影響します。
売却準備では、直近の決算書だけでなく、過去数期分の税務申告書、勘定科目内訳明細書、総勘定元帳、固定資産台帳、借入返済予定表、契約書類を整理しておきましょう。資料がすぐに出せる会社は、買い手から見ても管理体制への信頼が高まります。
売却前の決算書整理チェックリスト
売却を本格的に進める前に、次のチェックを行うと、相談や初期評価がスムーズになります。
| チェック項目 | 確認内容 |
|---|---|
| 直近3期分の決算書がそろっている | 貸借対照表、損益計算書、販売費及び一般管理費、内訳書を確認する |
| 月次試算表が作成されている | 直近期の業績推移を説明できる状態にする |
| 役員報酬の調整余地を把握している | 買収後に必要な人件費を見積もる |
| 代表者個人に関係する費用を区分している | 事業に必要な費用と個人色の強い費用を分ける |
| 借入金と保証の一覧がある | 金融機関、残高、返済条件、経営者保証を整理する |
| 不良債権・不良在庫を把握している | 回収不能や評価減の可能性を確認する |
| 役員貸付金・役員借入金を整理している | 返済、相殺、債権放棄、価格調整を検討する |
| 税務調査で指摘されそうな項目を確認している | 消費税、源泉税、外注費、役員給与を確認する |
中小企業M&Aでは、決算書がきれいな会社ほど高く売れるとは限りません。しかし、数字の根拠を説明できる会社は、買い手が検討しやすく、交渉も進めやすくなります。売却価格は、利益、純資産、業界相場、買い手との相性、引継ぎ条件によって変わりますが、その土台になるのは決算書です。
よくある質問
Q: 節税して利益を抑えてきた会社は売却に不利ですか?
Q: 売却前に役員退職金を出した方がよいですか?
Q: 赤字決算でもM&Aはできますか?
Q: 決算書を整えるのは売却直前でも間に合いますか?
まとめ
- 中小企業M&Aでは、買い手は決算書から正常収益力、実質純資産、税務リスクを確認する
- 売却前には、役員報酬、退職金、親族給与、個人色の強い費用を整理しておく
- 売掛金、在庫、役員貸付金、役員借入金、借入金、保証は価格交渉に影響しやすい
- 税務リスクや簿外債務は、隠すのではなく事前に把握し、説明できる状態にする
- 決算書を整える目的は数字をよく見せることではなく、買い手が安心して検討できる材料をそろえること
会社売却を考え始めたら、まず直近の決算書と試算表をもとに、買い手が見る数字を整理することが第一歩です。売却価格を知るためにも、税務・株価・借入金・保証・退職金をまとめて確認しておくと、M&Aの進め方を判断しやすくなります。
参照ソース
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」: https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html
- 経済産業省「中小M&Aガイドラインを改訂しました」: https://www.meti.go.jp/press/2024/08/20240830002/20240830002.html
- 中小企業庁「事業承継」: https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/index.html
- M&A支援機関登録制度: https://ma-shienkikan.go.jp/
- 国税庁「No.5208 役員の退職金の損金算入時期」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5208.htm
この記事を書いた人

辻 勝
会長・公認会計士・税理士・相続事業承継コンサルタント
公認会計士 / 税理士 / 行政書士
税理士法人 辻総合会計の会長。40年以上の実務経験を持ち、相続税・事業承継を専門とする。多くの医療法人・クリニックの顧問を務める。
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