
執筆者:辻 勝
会長・公認会計士・税理士・相続事業承継コンサルタント
M&A前に税理士へ相談すべきこと|株式譲渡・退職金・節税の境界

M&Aで会社売却を検討している場合、税理士へ相談すべきことは「譲渡益にかかる税金」だけではありません。売却前に役員退職金を支給するか、株式譲渡価格をどう考えるか、会社に残す資産や負債をどう整理するかによって、最終的な手取り額や買い手からの見え方が大きく変わります。特に中小企業のM&Aでは、株式譲渡・役員退職金・節税策の境界を早い段階で整理しておくことが重要です。
売却が具体化してから慌てて税務を確認すると、すでに基本合意や価格交渉が進んでおり、選択肢が限られることがあります。この記事では、売却検討者がM&A前に税理士へ相談すべき論点を、相談準備の観点から整理します。
M&A・第三者承継の個別相談
この記事の内容を、会社売却・第三者承継の判断に落とし込む相談をする
株価、税負担、仲介契約、引き継ぎ条件、買い手候補との交渉前論点を整理します。
M&A前の税務相談は「手取り額」から逆算する
会社売却の相談では、まず「いくらで売れるか」に目が向きがちです。しかし、経営者にとって本当に重要なのは、売却価格そのものではなく、税金や退職金、借入金、保証解除後に残る実質的な手取り額です。
中小企業の株式譲渡では、個人株主が株式を売却するケースが多く、株式の譲渡益には原則として申告分離課税が関係します。一方で、売却前後に役員退職金を受け取る場合は、退職所得として別の計算になります。つまり、同じ「経営者が受け取るお金」でも、株式譲渡対価として受け取るのか、退職金として受け取るのかで税務上の扱いが変わります。
実務上の注意点は、税額だけを見て退職金を増やせばよいとは限らないことです。退職金を支給すると会社の純資産が減り、結果として株式譲渡価格に影響することがあります。また、買い手が退職金支給後の財務内容をどう評価するかも確認が必要です。
株式譲渡で確認すべき税金と資料
株式譲渡で税理士に相談する際は、まず株式の取得価額、譲渡予定価額、保有株数、株主構成を整理します。創業者が長年保有している株式では、取得価額が不明確なこともあり、譲渡益の計算に影響します。
個人が非上場会社の株式を譲渡する場合、一般株式等に係る譲渡所得等として、他の所得と区分して税金を計算するのが基本です。2026年5月時点では、上場株式等と一般株式等は区分して扱われ、損益通算にも制限があります。非上場株式の譲渡益は給与や役員報酬とは別枠で考える必要があります。
相談前に整理しておきたい資料は次のとおりです。
| 確認項目 | 税理士に見せたい資料 | 相談で確認すること |
|---|---|---|
| 株主構成 | 株主名簿、定款、登記簿 | 誰が売主になるか、少数株主対応が必要か |
| 取得価額 | 出資時資料、過去の株式移動資料 | 譲渡益の概算、取得費が不明な場合の扱い |
| 会社価値 | 決算書、試算表、固定資産台帳 | 売却価格と税務上の株価の関係 |
| 役員退職金 | 役員報酬額、在任年数、退職慰労金規程 | 支給可能性と税務リスク |
| 借入・保証 | 借入一覧、保証契約、担保資料 | 売却後に残る債務・保証の確認 |
特に、過去に親族間で株式を移している場合や、名義株、所在不明株主がいる場合は、価格交渉以前に整理が必要です。株式の所有関係が曖昧なままM&Aを進めると、買い手のデューデリジェンスで問題化する可能性があります。
役員退職金は節税だけで決めない
M&A前の相談でよく出る論点が、売却前に役員退職金を支給するかどうかです。役員退職金は、一定の要件を満たせば退職所得として扱われ、退職所得控除や2分の1課税の考え方により、税負担が抑えられる場合があります。
一方で、法人側では役員退職給与が不相当に高額と判断されると、その高額部分が損金として認められないリスクがあります。したがって、M&A前の退職金設計では、個人側の税負担軽減と法人側の損金算入リスクを同時に見る必要があります。
退職金を検討する際の主な判断軸は次のとおりです。
| 判断軸 | 確認する内容 | 注意点 |
|---|---|---|
| 退職の実態 | 代表退任、役員退任、職務変更の有無 | 形式だけの退任では説明が難しい場合がある |
| 金額の妥当性 | 最終報酬月額、在任年数、功績、同業水準 | 高額すぎる部分は損金不算入リスク |
| 支給時期 | 基本合意前、譲渡実行前、譲渡後 | 買い手との価格調整に影響 |
| 株価への影響 | 退職金支給後の純資産・利益 | 譲渡価格が下がる可能性 |
| 資金繰り | 会社の現預金、借入返済予定 | 支給後に運転資金が不足しないか |
節税効果だけを見れば退職金が有利に見えることがあります。しかし、退職金の支給によって会社の現預金が減れば、買い手から「引継ぎ後の資金余力が少ない」と見られることもあります。M&Aでは税務と交渉が連動するため、退職金は税理士だけでなく、M&Aアドバイザーや買い手側の意向も踏まえて検討する必要があります。
「節税」と「やりすぎ」の境界を確認する
M&A前には、役員退職金のほかにも、役員報酬、配当、保険解約、不要資産の売却、不動産の整理など、さまざまな税務対策が検討されます。ただし、売却直前の対策は買い手からも税務署からも見られやすいため、節税と過度な利益移転の境界を慎重に確認する必要があります。
たとえば、売却直前に多額の役員報酬や退職金を計上すると、税務上の妥当性だけでなく、買い手から「正常収益力が見えにくい」と判断されることがあります。また、保険解約返戻金や含み益のある資産をどう扱うかによって、売却価格や法人税の見込みも変わります。
実務上の注意点は、「税金が減るか」だけでなく、「買い手に説明できるか」「契約書上の価格調整に反映されるか」まで確認することです。M&Aでは、税務上は可能でも、交渉上不利になる処理があります。
税理士へ相談するタイミングと進め方
税理士への相談は、買い手候補が出てからではなく、売却を検討し始めた段階で行うのが理想です。特に「数年以内に売るかもしれない」という段階でも、事前に決算書や株主構成を整えておくことで、交渉時の不安材料を減らせます。
相談の進め方は、次の順番が実務的です。
- 現在の株主構成と会社の財務内容を確認する
- 概算の株式価値と譲渡税額を試算する
- 役員退職金を支給する場合としない場合を比較する
- 保険、不動産、貸付金、役員借入金などを整理する
- 買い手に説明が必要な税務・会計論点を洗い出す
- 基本合意前に、手取り額と契約条件の見落としを確認する
M&Aでは、決算書の見栄えをよくするために短期的な処理をするよりも、過去の会計処理や税務リスクを説明できる状態にすることが大切です。基本合意後は価格や条件を大きく変えにくくなるため、税務相談は初期段階で行うべきです。
買い手のデューデリジェンスで見られる税務論点
買い手は、対象会社の決算書だけでなく、過去の税務処理、役員との取引、親族への支払い、未払残業代や社会保険の加入状況なども確認します。税理士へ相談する際は、単に節税案を聞くのではなく、買い手から指摘されそうな事項を先に整理しておくことが重要です。
特に確認されやすいのは、次のような論点です。
| 論点 | 買い手が見るポイント | 事前対応 |
|---|---|---|
| 役員貸付金 | 回収可能性、私的流用の有無 | 返済計画や整理方針を決める |
| 役員借入金 | 実在性、返済条件 | 売却時に精算するか確認 |
| 親族給与 | 勤務実態、金額の妥当性 | 職務内容と支給根拠を整理 |
| 保険契約 | 解約返戻金、簿外価値 | 売却価格に含めるか確認 |
| 不動産 | 含み益、賃貸条件、担保 | 会社に残すか切り離すか検討 |
| 未払税金 | 消費税、源泉所得税、法人税 | 納付状況と申告内容を確認 |
この段階で税務リスクが見つかったとしても、早めに整理すれば説明や価格調整で対応できる場合があります。問題は、買い手からの指摘で初めて発覚し、交渉上の主導権を失うことです。
よくある質問
Q: M&A仲介会社に相談していれば、税理士相談は不要ですか?
Q: 役員退職金を出せば必ず節税になりますか?
Q: 売却価格が決まってから税金を計算すればよいですか?
Q: 親族に株式を一部残したまま売却できますか?
まとめ
M&A前に税理士へ相談すべきことは、単なる節税ではなく、売却後に手元に残る金額と、買い手に説明できる税務処理を整えることです。
- 株式譲渡では、取得価額、譲渡予定価額、株主構成を早めに確認する
- 役員退職金は、個人の税負担だけでなく法人側の損金算入リスクも見る
- 売却直前の節税策は、買い手評価や価格調整に影響する
- 保険、不動産、役員貸付金、親族給与などはデューデリジェンス前に整理する
- 基本合意前に、税引後の手取り額と契約条件を試算しておく
会社売却は、株式譲渡、退職金、相続、保証解除、資産整理が同時に動く場面です。売却を少しでも具体的に考え始めた段階で、税務上の選択肢を整理しておくことで、交渉と意思決定を進めやすくなります。
参照ソース
- 国税庁「No.1463 株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1463.htm
- 国税庁「No.1420 退職金を受け取ったとき(退職所得)」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1420.htm
- 国税庁「第7款 退職給与」: https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/hojin/09/09_02_07.htm
- 国税庁「No.2240 申告分離課税制度」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/2240.htm
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」: https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html
この記事を書いた人

辻 勝
会長・公認会計士・税理士・相続事業承継コンサルタント
公認会計士 / 税理士 / 行政書士
税理士法人 辻総合会計の会長。40年以上の実務経験を持ち、相続税・事業承継を専門とする。多くの医療法人・クリニックの顧問を務める。
ご注意事項
本記事の内容は、公開日時点における一般的な情報提供を目的としており、 特定の個人や法人に対する専門的なアドバイスを構成するものではありません。
税務・会計・法務等に関する具体的なご相談については、 必ず資格を持った専門家にご確認ください。 本記事の情報に基づいて行われた判断や行動により生じた損害について、 当事務所は一切の責任を負いかねます。
記事の内容は法令の改正等により変更される場合があります。 最新の情報については、関係省庁の公式サイト等でご確認ください。
