
執筆者:辻 勝
会長税理士
開業医の生涯手取り比較|勤務医との差を税理士が試算

開業医と勤務医の生涯手取りはどれくらい違うのか
開業医の生涯手取りは、一般に勤務医より大きくなりやすい一方で、差が出るポイントは単純な年収の多寡ではありません。勤務医は給与収入として安定しやすく、開業医は事業利益の振れ幅が大きいため、生涯手取りの差は「売上」よりも「経費率」「借入返済」「税務設計」で決まります。勤務を続けるか、開業に踏み切るかで迷う医師にとって本当に重要なのは、額面年収ではなく、最終的に家計へ残るお金を長期で比較することではないでしょうか。
この記事では、税理士法人 辻総合会計の視点から、勤務医と開業医の生涯収入を同じ土俵で比較し、どこで差が広がるのかを整理します。なお、以下は制度上の一般論と一定の仮定を置いた試算であり、診療科、立地、借入額、家族構成、法人成りの有無により結果は大きく変わります。
開業医の生涯年収シミュレーションの前提とは
生涯比較は、前提条件が違うと結論が変わります。そこで今回は、30歳から64歳までの35年間を就業期間とし、勤務医は同期間を通じて給与所得者、開業医は35歳で開業し、その後は個人開業または実質的に院長個人へ帰属する所得ベースで比較します。
今回の試算条件
- 勤務医:年収1,800万円、35年間勤務
- 開業医:30〜34歳は勤務医として年収1,500万円、35歳で開業
- 開業後の院長個人に帰属する年間所得:平均2,600万円
- 開業初期費用や設備更新の負担を織り込み、開業後30年間の平均値で計算
- 所得税・住民税・社会保険料等を考慮し、概算の手取りを算定
なぜ「額面」ではなく「手取り」で見るべきか
勤務医は給与であるため、税務上は給与所得控除の枠内で処理されます。一方、開業医は事業所得であり、青色申告や必要経費、専従者給与、法人成り後の役員報酬・退職金設計など、可処分所得を左右する選択肢が多いのが特徴です。現場でも「年商は多いのに、思ったほど家計に残らない」という相談は少なくありません。
開業医と勤務医の生涯収入を比較するとどうなるか
以下は、実務で説明しやすいように単純化した比較表です。あくまで概算ですが、全体像はつかみやすくなります。
| 項目 | 勤務医 | 開業医 |
|---|---|---|
| 就業期間 | 35年 | 35年 |
| 額面ベースの累計収入 | 約6.3億円 | 約8.55億円 |
| 税・社会保険等の累計負担 | 約1.95億円 | 約2.55億円 |
| 生涯手取りの目安 | 約4.35億円 | 約6.00億円 |
| 差額 | - | 約1.65億円多い |
この試算では、開業医の生涯手取りは勤務医より約1.5億円超多い結果になりました。ただし、この差は自動的に生まれるものではありません。外来単価、患者数、家賃、スタッフ人件費、減価償却、借入返済が少しずれるだけで、差は大きく縮みます。
開業医が有利になりやすい理由
開業医は、利益が安定すれば給与所得者よりも可処分キャッシュを設計しやすくなります。特に医療法人化後は、院長給与、配偶者給与、役員退職金、院長社宅、生命保険の活用など、家計へ資金を移すルートが増えます。単年度では税負担が重く見えても、長期では出口設計の差が効いてきます。
勤務医が有利な場面
一方で、勤務医は赤字リスク、借入返済リスク、採用難、設備更新負担を直接背負いません。可処分所得の最大値では開業医に届かなくても、家計の安定性では勤務医に優位性があります。特に都市部で賃料が高い診療科や、自由診療への依存が高いケースでは、開業医の期待手取りが下振れすることがあります。
開業医と勤務医の手取り比較で差が出るポイント
生涯手取りの差を左右する論点は、次の4つです。
1. 税率の上がり方
高所得になるほど、所得税の限界税率は上がります。勤務医は給与所得控除があるものの、一定以上では控除額が頭打ちになります。そのため、高年収勤務医は「額面が増えても手取り増加率が鈍い」状態になりやすいです。
2. 社会保険の構造の違い
勤務医は厚生年金・健康保険に加入し、保険料は勤務先と折半されます。開業医は国民年金や医師国保、国民健康保険等の枠組みとなることが多く、法人化の有無でも構造が変わります。税だけでなく社会保険の負担構造まで含めて比較しないと、手取り差を見誤ります。
3. 開業コストと更新投資
開業初期には内装、医療機器、電子カルテ、運転資金などの資金需要があります。さらに10年単位で設備更新が発生します。表面上の利益が高くても、更新投資を見落とすと、生涯手取りを過大評価しやすくなります。
4. 退職金と出口設計
勤務医は退職金制度の有無に左右されますが、開業医も医療法人化していれば役員退職金の設計余地があります。退職時にまとまった資金を有利な税制で受け取れるかどうかは、生涯手取りの最終差に直結します。
医師の生涯年収シミュレーションを失敗しない方法
試算は、次の順番で進めると精度が上がります。
Step 1: 現在の勤務医収入を税引後で把握する
給与収入だけでなく、賞与、時間外手当、学会手当、社会保険料控除後の実際の可処分額を確認します。
Step 2: 開業後の利益ではなく「院長個人に残る金額」を見る
売上から経費を引いた利益だけでなく、借入返済元本、設備更新、生活費引出額まで含めて確認します。
Step 3: 5年単位で上振れ・標準・下振れの3パターンを作る
医療需要や採用環境は固定ではありません。1本の強気シナリオだけで意思決定すると危険です。
Step 4: 法人成り後の給与・退職金まで含めて再計算する
個人開業のままか、医療法人化するかで税務設計が大きく変わります。ここで差額が数千万円単位で動くこともあります。
開業医が勤務医より不利になるリスクと注意点
開業医は常に有利とは限りません。次のような場合は、勤務医の方が合理的な選択になることがあります。
開業医が不利になりやすいケース
- 開業初期の借入返済が重い
- 立地選定が不十分で患者数が伸びない
- スタッフ採用難で人件費率が上がる
- 自由診療を前提にした計画が想定どおり進まない
- 法人成りや退職金設計を行わず、高税率のまま長年推移する
迷ったときの判断軸
単に「年収が高そうだから開業する」では弱いです。重要なのは、35年で見たときに、家計に残る現金、資産形成のしやすさ、引退時の出口まで含めて有利かどうかです。特に40代以降は、教育費、住宅、老後資金が重なるため、キャッシュフローの安定性も同じくらい重視すべきです。
よくある質問
Q: 開業医の生涯年収は必ず勤務医より高くなりますか?
Q: 開業医と勤務医の比較は年収と手取りのどちらを見るべきですか?
Q: 何歳で開業すると生涯手取りは有利になりやすいですか?
まとめ
- 開業医の生涯手取りは、勤務医より大きくなりやすいが、自動的に増えるわけではない
- 差を生むのは年商よりも、経費率、人件費率、借入返済、税務設計である
- 勤務医は安定性が高く、開業医は上振れ余地と下振れリスクの両方を持つ
- 比較は額面年収ではなく、税引後・返済後・更新投資後の手取りで行うべきである
- 個別事情で結論は変わるため、開業前後で税理士によるキャッシュフロー試算が重要である
参照ソース
- 政府統計の総合窓口 e-Stat「令和6年賃金構造基本統計調査 一般労働者 職種」: https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?cycle=0&data=1&layout=datalist&metadata=1&page=1&tclass1=000001224440&tclass2=000001225782&tclass3=000001225788&toukei=00450091&tstat=000001011429
- 国税庁「No.2260 所得税の税率」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/2260.htm
- 日本年金機構「国民年金保険料」: https://www.nenkin.go.jp/service/kokunen/hokenryo/hokenryo.html
この記事を書いた人

辻 勝
会長税理士
税理士 / 行政書士
税理士法人 辻総合会計の会長。40年以上の実務経験を持ち、相続税・事業承継を専門とする。多くの医療法人・クリニックの顧問を務める。
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