
執筆者:辻 勝
会長税理士
クリニック承継後の引き継ぎ実務|患者・スタッフ対応を税理士が解説

クリニック承継後の引き継ぎとは(結論)
クリニック承継後の引き継ぎは、「患者の継続受診」と「スタッフの雇用・士気」を同時に守りながら、運営ルールとお金の流れを新体制に切り替える作業です。ポイントは、引き継ぎを気合いではなく、説明設計(誰に・何を・いつ)と運用設計(ルール・権限・数字)に落とすことです。
承継が決まった直後は、院長交代や名称変更、診療方針の変化などで不安が増えます。ここで説明が遅れると、患者の離脱・口コミ悪化・スタッフ退職が連鎖し、売上が落ちる一方で人件費や固定費が重くなりがちです。承継後の最初の90日を経営安定化フェーズと位置づけ、実務を前倒しで整えることが重要です。
当法人(税理士法人 辻総合会計)では、30年以上にわたり医科・歯科クリニックの承継・開業支援に携わり、引き継ぎ局面の「現場が止まるポイント」を多数見てきました。本記事では、現場で起こりがちな論点を、実務チェックリストとして使える形でまとめます。
クリニック承継後に起きやすい「3つの断絶」
承継直後の混乱は、多くの場合「情報」「関係」「数字」の断絶から起きます。
断絶1:患者情報と説明の断絶
患者は「いつもの先生」「いつものやり方」を前提に通院しています。院長交代が突然に映ると、慢性疾患ほど離脱率が上がりやすいです。特に自由診療や自費物販がある場合、説明の齟齬がクレームに直結します。
ここで重要なのが、患者情報の引き継ぎを「法令に沿って」「患者に違和感なく」進めることです。診療録等には要配慮個人情報が含まれ、取り扱いを誤ると重大な信用毀損になります。
断絶2:スタッフの心理と雇用の断絶
承継で一番リスクが高いのは、実は「スタッフの突然退職」です。患者は戻せても、チームはすぐに戻りません。退職が出るとシフトが回らず、予約枠を削る→売上が落ちる→残ったスタッフが疲弊する、という悪循環に入ります。
雇用面では、承継スキーム(事業譲渡、医療法人の理事交代等)によって扱いが変わります。労働契約の取り扱い、説明手順、同意の要否などは早めに整理しておくべきです。
断絶3:お金(収益・原価・固定費)の断絶
承継後に「思ったより利益が残らない」原因は、固定費と原価の見誤りです。特に以下は承継直後に効いてきます。
- 人件費(賃上げ期待、残業、欠員補充の派遣費)
- 薬剤・材料(仕入先変更、在庫過多、値上げ)
- リース・保守(電子カルテ、画像、電話、予約、決済)
- 家賃・関連当事者取引(賃貸借条件の再確認)
引き継ぎは「人の引き継ぎ」だけでなく、原価と固定費の引き継ぎでもあります。会計・税務は後追いになりがちなので、運用設計に組み込むのがコツです。
患者の引き継ぎ実務(告知・同意・診療継続の設計)
「誰に、いつ、何を伝えるか」を決める
患者対応は、情報の出し方が9割です。目安としては次の順番が事故を減らします。
- 院内スタッフ(まず足並みを揃える)
- 主要患者層(慢性疾患、通院頻度が高い層)
- 全患者(院内掲示・紙・Webで統一告知)
- 取引先・連携先(薬局、訪問看護、病院など)
告知文は、医療広告・ウェブ表示のルールにも配慮が必要です。承継後に院長名や診療内容、料金表示を更新する際は、誇大・不実表示や比較優良表示にならないよう、医療広告ガイドラインの枠組みで点検します。
診療情報(カルテ等)の引き継ぎで外せない論点
患者の診療情報は、承継の目的(継続診療)に必要な範囲で扱う一方、取得・提供の方法によっては同意や説明が論点になります。実務では次をセットで整えます。
- 利用目的の明示(院内掲示・院内規程)
- 引き継ぎに伴う取り扱いの説明文(Q&A形式が有効)
- 同意取得が必要なケースの判定(紙・電子)
- データ移行ログ、アクセス権限、委託契約(ベンダー含む)
かかりつけ患者を離脱させない「運用」3点
患者の不安を下げるために、承継後1〜3か月は運用を保守的にするのが基本です。
- 診療導線(予約、受付、会計、処方)の急変更を避ける
- 診療方針の変更は「例外から」始める(全体一斉変更は避ける)
- 初回面談枠を確保(院長交代後の説明時間を別枠で設計)
患者は「新院長の医療の腕」だけでなく、「説明の安心感」で残ります。診療時間が変わらない前提であれば、説明枠を確保することが、結果的に継続受診と単価を守ります。
スタッフの引き継ぎ実務(退職リスクを下げる)
雇用は条件より先に納得を作る
スタッフ面談は、条件提示より前に「方針」「守るもの」「変えるもの」を言語化します。典型的に効くのは次の3点です。
- 雇用は守る(原則の宣言)
- 評価・シフト・権限のルールはいつ確定するか(期限の提示)
- 患者対応で困ったら誰が最終判断するか(指揮命令系統)
スタッフは不確実性に弱いので、すべて決まっていなくても「決め方」と「期限」を示すことが離職抑止になります。
承継スキーム別:スタッフ対応の違い(比較表)
承継の形により、雇用や説明手順の論点が変わります。代表的な違いを整理します。
| 項目 | 事業譲渡(院の事業を譲る) | 法人内承継(医療法人の理事交代等) |
|---|---|---|
| 雇用の見え方 | 「雇用主が変わる」印象が強い | 「経営者が交代」しやすい |
| 退職リスク | 高め(不安が出やすい) | 比較的低め(ただし方針転換で増える) |
| 必須の実務 | 個別面談、条件提示の順番、同意の取り方 | 権限移譲、就業規則の運用統一、評価制度の見直し |
| 早期に決めること | 給与・賞与・退職金の扱い、社会保険、雇用契約の再整備 | 管理者権限、勤怠・残業ルール、指揮命令系統 |
※実際の要否・手順は個別事情で異なります。労務は社会保険労務士、法務は弁護士との連携が前提になります。
「辞めない職場」に戻す30日ルール
承継後1か月でやるべきことは、制度改革より摩擦の除去です。
- シフト決定の締切日を固定
- クレーム一次対応の窓口を固定
- 物品発注ルール(誰が、いつ、いくらまで)を固定
この3つが曖昧だと、現場で小競り合いが増え、退職の引き金になります。逆に、ここが固まると現場は落ち着き、患者対応の質も戻ります。
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経営安定化のポイント(最初の90日でやること)
承継後の経営は、「売上を伸ばす」より先に「落とさない」ことが最重要です。90日を3フェーズに切ります。
Step 1: 0〜14日(止血)
- 予約枠と診療導線を固定し、急変更しない
- 主要KPIを毎週確認(来院数、再診率、キャンセル率、レセ返戻)
- 現金・口座・権限の整理(支払停止が起きないように)
Step 2: 15〜45日(標準化)
- 院内ルールを1枚にまとめる(シフト、発注、クレーム、緊急時)
- 自費メニュー・物販の説明文を統一
- 外部委託の棚卸(電子カルテ、予約、清掃、廃棄物、リース)
Step 3: 46〜90日(最適化)
- 人員配置の微調整(受付/看護/検査のボトルネック解消)
- 価格・算定・加算の再点検(取り漏れ・過剰算定の両方を防ぐ)
- 月次試算表の早期化(締めを早くし、意思決定を速くする)
この90日で「現場が回る型」ができると、以後の改善(増患・単価改善・採用強化)に進めます。
税理士が見る「承継後に数字が崩れる」典型
実務で多いのは、承継直後に次のいずれかが見落とされ、利益が圧縮されるケースです。
- 引継ぎ期間の給与・賞与の二重負担(旧院長側の清算が曖昧)
- リースや保守の名義変更遅れ(請求が止まる/二重請求)
- 在庫評価の不整合(薬剤・材料の引継ぎ価格が曖昧)
- 家賃や関連当事者取引の再設定(賃料が実態と乖離)
承継契約に「引継ぎ費用」「在庫」「未収・未払」「役員報酬(理事報酬)」の整理条項を入れても、現場運用が追いつかないと崩れます。会計側は、現場で起きる例外を前提に設計するのが安全です。
ケーススタディ(匿名):患者とスタッフを同時に守った例
内科系クリニックで、院長交代により慢性疾患患者の離脱が懸念されました。承継直後に院長が診療方針を変えたくなりましたが、当初3か月は「導線固定」を優先し、変更は例外対応から開始しました。
同時にスタッフには「雇用は守る」「評価は90日後に確定」「困ったら院長が最終判断」という3点を先に共有。院内掲示とWeb告知は同一文面に統一し、問い合わせ窓口を受付主任に一本化しました。
結果として、再診率の落ち込みは最小化され、退職もゼロで推移。3か月後に算定・予約枠の見直しを段階的に行い、半年後には承継前水準を超える売上に戻りました。ポイントは、改革を急がず、最初に「不確実性」を減らしたことです。
よくある質問
Q: 承継後、患者への告知はいつ・どうやって行うのがよいですか?
Q: スタッフの退職を防ぐには、給与条件を先に提示すべきですか?
Q: 承継後、最初に見るべき経営数字は何ですか?
まとめ
- クリニック承継後の引き継ぎは「患者継続」と「スタッフ雇用」を同時に守る運用設計で決まる
- 患者対応は説明設計、スタッフ対応は不確実性を減らす期限と指揮命令系統が鍵
- 診療情報の取り扱いは個人情報保護の観点で手順を整え、委託先管理も含めて事故を防ぐ
- 最初の90日は「止血→標準化→最適化」で進め、KPIを週次で確認して崩れを早期発見する
- 数字が崩れる典型(人件費・原価・リース・在庫・清算)を先回りして契約と運用に落とし込む
参照ソース
- 厚生労働省「医療法における病院等の広告規制について」: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/kokokukisei/index.html
- 厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」: https://www.mhlw.go.jp/content/001470635.pdf
- 個人情報保護委員会「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」: https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/
この記事を書いた人

辻 勝
会長税理士
税理士 / 行政書士
税理士法人 辻総合会計の会長。40年以上の実務経験を持ち、相続税・事業承継を専門とする。多くの医療法人・クリニックの顧問を務める。
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