
執筆者:辻 勝
会長税理士
クリニック売却相場の目安と評価額の決め方|医院M&Aを税理士が解説

クリニック売却相場とは?結論と考え方
クリニック売却の「相場」は、株式や不動産のように一律の価格表があるわけではなく、収益力とリスクの見立てによって個別に決まります。
同じ売上規模でも、院長依存の度合い、スタッフの定着、診療圏、賃貸借契約、レセプトの安定性などで評価は大きく変動します。
つまり、相場感を掴むには「いくらで売れるか」より先に、「何が価値(Value)で、何がディスカウント要因(Risk)か」を分解することが重要です。
税理士法人 辻総合会計では、クリニックのM&A・承継相談において、財務だけでなく労務・契約・税務の論点を同時に棚卸しし、交渉可能な論点を増やす支援を重視しています。
医院の価値を決める主要要素(評価額が上下するポイント)
1) 収益力(実態利益)と再現性
買い手が最も重視するのは、将来も同程度の利益が見込めるか、という再現性です。
医療機関は会計上の利益と実態がずれることがあるため、M&Aでは「正常収益(ノーマライズ)」を作ります。具体的には、院長の私的支出、過大・過少な役員報酬、一時的な広告費や修繕費などを調整します。
実態利益の精度が高いほど、評価額の説明力が増し、価格交渉で不利になりにくくなります。
2) 診療圏・立地・患者基盤
診療圏(商圏)の人口動態、競合状況、アクセス、駐車場、導線などは、患者数の維持に直結します。
特に「紹介比率」「リピート率」「キャンセル率」「予約導線(Web予約等)」は、引継ぎ後の落ち込みを左右するため、買い手のデューデリジェンス(DD)で見られやすいポイントです。
3) 人材・オペレーション(属人性の低さ)
スタッフが安定しており、業務が標準化されているクリニックは高く評価されます。逆に、院長の診療スキルや個人的な信頼に依存している場合、引継ぎ直後の売上減が懸念され、ディスカウント要因になります。
院内マニュアル、教育体制、リーダー層の有無、シフト設計、離職率などは、数値化・可視化して説明できるほど強みになります。
4) 契約関係(賃貸借・リース・業者契約)の健全性
賃貸借契約の残存期間、更新条件、解約条項、原状回復、保証金、そして医療機器リースの残債は、実質的に「買い手の負担」になります。
また、テナントの名義変更可否、管理会社の承諾、近隣クレームなどの非財務情報も、最終条件に影響します。
5) 法的スキーム(個人クリニックか医療法人か)
個人(開業医)のクリニックでは、主に「事業譲渡(資産・契約・従業員等の移転)」が中心になります。
医療法人の場合は、「持分の有無」「合併・分割」「事業譲渡」などスキームの選択肢が増える一方、行政手続き・定款・社員構成などの論点が強くなります。
スキームは価格だけでなく、税負担・引継ぎの難易度・スケジュールを左右するため、最初の設計が重要です。
クリニックの評価方法(評価額の出し方)と使い分け
実務では、複数の方法で「レンジ(価格帯)」を作り、論点を調整して最終価格に落とし込みます。代表例は次の3つです。
| 評価アプローチ | 概要 | クリニックでの使いどころ | 注意点 |
|---|---|---|---|
| コスト(時価純資産)アプローチ | 資産-負債の時価をベースに算定 | 不動産や高額機器の比重が大きい場合 | 収益力が反映されにくい |
| インカム(収益)アプローチ | 将来利益やキャッシュフローから算定(DCF等) | 収益が安定し成長余地がある場合 | 前提(将来計画)の妥当性が鍵 |
| マーケット(類似取引)アプローチ | 類似案件の取引事例を参照 | 一般的な相場感の確認 | 類似性の担保が難しい |
クリニックでは「正常収益 × 事業継続リスク(属人性・診療報酬改定耐性・人材)」という発想で調整されることが多く、会計数値だけで自動的に決まりません。
また、買い手にとっての「のれん(無形価値)」は、患者基盤・立地・人材・ブランドの総合点であり、ここを説明できるほど交渉が有利になります。
売却価格を上げる実務ポイント(準備で差が出る)
正常収益を作る(数字の見せ方を整える)
- 直近2〜3期の試算表・決算書を揃え、科目のブレを説明できる状態にする
- 院長の私的支出混入、家族給与、保険・福利厚生の運用などを整理する
- 一時的な費用(内装改修、採用コスト、広告キャンペーン等)を明確化する
非財務情報をパッケージ化する(買い手の不安を減らす)
- 月次KPI(来院数、再診率、キャンセル率、紹介比率等)
- オペレーション資料(予約~会計~レセプトの流れ、担当者、マニュアル)
- 人材情報(職種別人数、勤続年数、給与レンジ、退職予定の有無)
- 契約情報(賃貸借、リース、委託、保守、IT)一式
買い手が不安に感じる点を先回りして解消できると、条件交渉が価格だけの勝負になりにくく、結果として評価額が守られます。
医療機関専門の税理士にご相談ください
40年以上の実績。クリニック・医療法人の経営を税務・会計の両面からサポートします。
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売却の流れ(手順)と、失敗しないチェックポイント
Step 1: 目的とスキームを決める(事業譲渡/持分譲渡/合併等)
「いつまでに」「何を残したいか(雇用・屋号・不動産・患者対応)」を明確にし、スキーム候補を比較します。医療法人は合併・分割等の論点が増えるため、早期に行政手続きの要否も確認します。
Step 2: 資料整備と簡易評価(レンジの把握)
決算書・試算表・契約書・固定資産台帳・リース明細を揃え、正常収益の調整を行い、価格レンジを作ります。
Step 3: 交渉(秘密保持契約→意向表明→基本合意)
情報開示の順序を設計し、開示範囲とタイミングを管理します。ここで条件の骨格が決まるため、税務・労務・契約の論点を同時に詰めます。
Step 4: デューデリジェンス(DD)と最終契約
財務・税務・労務・法務の確認を受け、リスクが見つかった場合は価格調整や表明保証で手当します。契約後の引継ぎ(スタッフ説明・患者導線・レセプト体制)までを工程表に落とします。
ケーススタディ(匿名例):評価額が伸びた医院と伸びなかった医院
当法人の支援現場では、価格差の主因は「利益の大小」よりも「引継ぎ後の見通し」が説明できるかに集約されます。
- 例A(評価が伸びた):院長依存を下げるため、スタッフ主導の運用に移行。KPIを月次で可視化し、予約導線と業務手順を文書化。DDでの追加質問が少なく、条件が安定しやすかった。
- 例B(伸びなかった):帳簿上の利益は高いが、実態調整が未整理で説明に時間を要した。賃貸借の更新条件が不透明で、買い手がリスクを織り込んだ結果、最終条件が厳しくなった。
このように、「説明可能性」が価格の防波堤になります。売却検討は、交渉開始より前の準備で勝負が決まることが少なくありません。
よくある質問
Q: クリニックの売却価格は、決算書の利益だけで決まりますか?
A:
決まりません。実務では正常収益(調整後の実態利益)に加え、院長依存、人材、契約、診療圏などのリスクを織り込んでレンジ化します。利益は重要ですが、再現性を裏付ける資料があるほど評価が安定します。Q: 医療法人の売却は、個人クリニックより難しいですか?
A:
一概には言えませんが、医療法人はスキームが複数あり、合併・分割・事業譲渡など手続き論点が増えます。定款、社員構成、所轄庁対応なども関係するため、早期に専門家を交えて工程と論点を整理するのが実務的です。Q: 売却準備は、いつから始めるべきですか?
A:
目安として「売却を考え始めた時点」で着手するのが合理的です。特に正常収益の整備、契約書の棚卸し、人材の引継ぎ設計は短期で整いません。早めに資料を揃えるほど、交渉で不利になりにくくなります。まとめ
- クリニック売却相場は一律ではなく、収益力とリスク(属人性・人材・契約・診療圏)で個別に決まる
- 評価は複数手法でレンジ化し、正常収益と非財務情報の説明力が価格を左右する
- 賃貸借・リース・委託契約はDDで問題化しやすく、早期の棚卸しが重要
- 医療法人はスキーム選択と行政手続きが絡むため、初期設計が成否を分ける
- 「準備の質」が交渉力となり、評価額の防波堤になる
参照ソース
- 厚生労働省「医療法人・医業経営のホームページ」: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/igyou/index.html
- 厚生労働省「医療法人の合併及び分割について(通知)」: https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc3596&dataType=1&pageNo=1
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン」: https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/m_and_a_guideline.html
- 国税庁「No.5460 建物を賃借するための権利金等(繰延資産)」: https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5460.htm
この記事を書いた人

辻 勝
会長税理士
税理士 / 行政書士
税理士法人 辻総合会計の会長。40年以上の実務経験を持ち、相続税・事業承継を専門とする。多くの医療法人・クリニックの顧問を務める。
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